2009年12月6日日曜日

ゴッドマザーになった。



「マチルダのゴッドマザーになってもらえないかな」
ある日、ハームの弟のバスが私に打診した。「ゴッドマザー」と聞くと思わずマフィアのドン(の女房?)を思い浮かべてしまうが、もちろんそれではない。キリスト教の儀式に基づく「第二の親」のようなものである。マチルダの両親であるバスとウリが早く亡くなるようなことが起きた場合、私が彼女の親代わりになるという約束である。私はカトリック教徒でないので、その点だけが気になったのだが、教会からはすでに了承を得ているということだったので、喜んでマチルダのゴッドマザーを引き受けることにした。

6日の日曜日、マチルダの洗礼式のため、家族がドイツのボンに集まった。ハーム弟の妻ウリがドイツ人なので、集合場所が彼女の実家になったのだ。マチルダに洗礼を受けさせるという考えも、実はこのドイツ側の家族のもので、ハーム一家は全く乗り気でない様子だった。しかし、後で聞いた話だが、子供の苗字をハーム家の「Dorren」にする代わりに、子供に洗礼を受けさせるという夫婦間の取引があったらしい。どこの家族にもありがちなギブ・アンド・テイクである。

閑静な住宅街にある病院の敷地内にチャペルはあった。ヨーロッパの病院には大抵、小さなチャペルがついている。病院内で亡くなった人を弔うほか、生まれたばかりの赤ちゃんの洗礼式を行うためだという。乳児の死亡率が高かった昔は特に、赤ちゃんが生まれるとすぐに洗礼を受けさせたらしい。洗礼を受けずに死んでしまった人は、天国に行けないと信じられているからだ。マチルダはすでに生後5カ月になっており、昔のスタンダードからすると、随分大きくなってから洗礼を受けたことになる。

参加者は全部で20人ほどの、こじんまりした集まりだった。ローソクの温かい光に照らされた小さな教会は、小さなマチルダの洗礼式にぴったりだった。オルガンの音で式が始まり、優しそうな初老の神父が式を進めた。皆の椅子の上にマチルダの写真入りパンフレットが置いてあり、そこに神父の言葉や我々の言うべきセリフが書いてある。すべてはドイツ語で私はチンプンカンプンだったが、「Paten(ゴッドマザー)」と書いてあるところでは、発音もよく分からないままに、何度か「Wir Sind bereit」と言わねばならなかった。

そして、事前に用意するように言われていた「マチルダのための3つの願い」を皆の前でオランダ語で読み上げた。

「マチルダ、あなたが温かい友情、愛情に恵まれますように。そして、感謝の心を忘れませんように」
「マチルダ、あなたが強さと思いやりを持てますように」
「マチルダ、あなたが自信を持って社会に貢献できますように」

父親のバスからは、私に向けた言葉が贈られた。
「はるばる日本からやってきて、オランダの家族に常に心を開いてくれたことを感謝しています。マチルダにはあなたのように広い視野を持った人になってもらいたいと思っています。これからマチルダの叔母として、全く違った文化的背景から彼女に助言を与えてやってほしい」
私はマチルダのゴッドマザーに選んでもらえたことが嬉しかった。バスとウリの信頼に応えたいと思った。

ベビーカーの中で寝ていたマチルダは、最後に抱き上げられ、白いレースの布でくるまれた。そして、神父が仰向けになった彼女の頭に、銀の水差しから少しだけ水を注いだ。抱き上げられて目を覚ましたばかりのマチルダは、いきなり頭に冷水をかけられてワーッと泣き出してしまった。

最後に皆でオルガンに合わせて聖歌を歌い、この式は終了した。初めはあまり乗り気でなかったハーム家の人びとも、静かな教会で、こうして皆でマチルダの人生を祝福するのはいいもんだと思ったのだろう。式の後、皆ひとしきり清清しい顔で「とても美しい式だった」と言っていた。

式の後は、皆でぞろぞろ歩いてウリのお母さんの家へ。彼女は離婚後、現在は一人暮らしをしている。ここでシャンパンから始まり、延々と夕方までご馳走をいただいた。メインのアヒル肉の煮込みも、最後に出てきた何種類ものケーキも素晴らしく美味しかった。ウリは一人娘で私と同い年。ウリのお母さんが孫を持つことをあきらめかけていた時に、マチルダは生まれた。この洗礼式とパーティは、彼女にとって非常に重要なイベントだったのだ。テーブルセット、料理、花……すべてに心が込められており、実に愛情に満ちたいいパーティだった。

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