2008年12月31日水曜日

あけましておめでとうございます.

ここアイントホーフェンにも2009年がやってきました。昨年の今頃はちょうど帰国中だったため、アイントホーフェンで新年を迎えるのは実は初めてでした。近所に住む友人ファミリーが夜10時半ごろから家に来てくれて、一緒に蕎麦を食べたり、ワインを飲んだりしながら年を越しました。


こちらは中国と同様、すさまじい花火と爆竹で年を明けます。学生の多いユトレヒトでは、それはそれはすさまじい爆発音が鳴り響き、外に出るのも恐ろしいほどでしたが、ここアイントホーフェンの我が家の周りは比較的大人しく、しかも爆竹よりもちゃんとした打ち上げ花火が多い印象で、皆で外に出てしばし夜空にきらめく赤や緑の光を楽しみました(かなりプロフェッショナルな花火も多数)。


夜中の0時になると近所の人たちは皆、外に出てきて「新年おめでとう!」と言いながら左右のほっぺたにチュッチュッチュッと3回キスをして挨拶をします。我々もそうでしたが、新年を迎えるまでにさんざんワインやシャンペンを飲んで、皆、相当にできあがっちゃっています。なかでも一番、酔っ払っていたのはうちのハームで、氷点下の気温の中、上着も着ないでシャンパングラスを片手にぶらぶらしていました。新年早々、思いやられます。


1日の今日はハーム両親が午後から家にやってきて、歓談したり一緒に夕食を食べたりして過ごしました。今日はハームが料理をすることになっていたので、私は楽ができる……と思っていたのですが、マウリッツがムチャクチャ元気で、その相手だけでも相当ヘロヘロになってしまいました。今年もマー坊中心の日々が続きます。 しかし、今年はもう少し自分の時間を作り、1人静かに何か創造的な事を楽しみたいと思っています。


新たな年が皆様にとって、愉しい1年になりますように!今年もどうぞよろしくお願いします。


写真左;近所のヤニーさんが持ってきた幻想的な花火。火をつけると、ふわっと宙に浮き上がり、亡霊的な動きでふわ~っと空高く上がっていきます。中国の花火とのこと。 写真右;煙が立ち込める氷点下の夜、外で花火を見入るご近所さんたち。

2008年12月27日土曜日

クリスマス















こちらのクリスマスは日本のお正月のような位置づけにあり、一家が集まる大切な日となっている。特にクリスマス1日目の12月25日に誰の家で過ごすか――つまり、夫の両親の家なのか、妻の両親の家なのか――というのは重要な問題で、時には家族の平和を揺るがすほどの大問題に発展することもあるようだ。


我々についてはこのことについては問題になりようがなく、毎年24日の夕方にハーム両親の家に皆が集まり、1泊して25日もディナーまで一緒に過ごすのが恒例となっている。しかし、今年はハーム母が11月末に足の手術をした関係で、25日の午後から夜にかけて一緒に過ごすにとどまった。













ハーム母は手術後3カ月間は松葉杖。両手を自由に使えない状態なので、服を着替えたりお風呂に入ったりするのも、すべてハーム父に手伝ってもらわねばならない。人に依存しなければ何もできない状態はとてもストレスになるとみられ、いつもチャキチャキしている人だけにとても気の毒だった。


そして、もっと気の毒だったのはハーム父。毎日の炊事、洗濯、掃除をすべて一人でこなさなければならない上、大きな赤ん坊を抱えているような生活で、さすがに顔に疲労の色が出ていた。それでも、オランダのこの地方の人が冬によく食べるという野うさぎを2日前から調味料に漬け込み、前日に2時間かけて料理してくれた。ウサギや鹿などの野生動物の肉を私はあまり美味しいとは思わないのだが、彼が料理してくれるものは特別だ。ただし、1年に1回で十分。









ハームの弟夫婦は、キプロス島にバカンスに行ってしまい、今回は来なかった。そして、ハームの妹一家は、ある争いがきっかけで、このところ家族の集まりには来なくなっている。そんなわけで、今年は年老いたハーム両親と我々親子だけのちょっと寂しいクリスマスだった。










しかし、そんなクリスマスを明るくしてくれたのは我が家のスター、マウリッツ。皆からたくさんプレゼントをもらい、ちやほやされて、大興奮の一日だった。夜も興奮冷めやらず、夜中に「タンガー!(マー坊語で「風船・ボール」のこと)」と寝言を言っていた。

2008年12月21日日曜日

クリスマスプレゼント




先日、日本のおじいちゃん、おばあちゃんからのクリスマスプレゼントが届きました。


プレゼントは冬のフード付コートと、お絵かきボードと、歩くゾウのオモチャです。




早速、コートやお絵かきボードを活用。歩くゾウのオモチャは、ちょっと怖かったみたいです。

2008年12月16日火曜日

連弾

先日、ライデンから杏子ちゃんが遊びに来てくれました。仲良し3人組でピアノを連弾。

2008年12月12日金曜日

クリスマスパーティ







オランダ人のパーティは、大体がしみったれている。今までに誕生会、結婚パーティ、新居お披露目パーティなどに招待されたのだが、どのパーティも共通していたのは出される食べ物がしょぼいという点である。安いワインやビール、そしてコーヒー、紅茶、ジュースといった飲み物はお腹がダブダブになるほど用意してあるくせに、食べ物といえばクラッカー(パテやチーズを塗ったりする)かポテトチップ程度。誕生日会にはケーキが出るが、本当にケーキ一切れとコーヒーだけである。はじめはこの簡易パーティに慣れなかったのだが、最近はこういう気張らないパーティは招く側も招かれる側も気楽でいいかもしれない、と思い始めている。

先日は、日本人主婦と子供たちのクリスマスパーティをうちで催した。子供を含めて総勢20人が集合。一人一品、料理を持ち寄るという形式で、クリスマス会の当日は長テーブルに皆が持ち寄った料理やケーキが並べられただけで、もう酒池肉林の世界。全種類を少しずつお皿に取って、もくもくと食べるだけで素晴らしく幸せな気分になれた。おかず、ケーキ、おかず、ケーキと4ラウンドぐらい食べた後は、ピアノに合わせて皆でクリスマスソングを歌ったり、お菓子の詰まったくす球を割ったり、プレゼント交換をしたり……と、それはそれは盛りだくさんな楽しい会となった。宴の後の散らかりようはこれまたダイナミックだったが、日本人主婦たちの細かい配慮で、皆が協力して片付け・掃除をしてくれた。

オランダ人の簡易パーティにもそれなりの良さがあると思ったが、こういう盛大な宴もまたいい。やっぱり、お金と手間をかけてこその「祭り」という気がする。

2008年12月6日土曜日

お誕生日会






今日は近所に住むアレキサンダーの誕生日会がありました。アレキサンダーは2歳になったばかり。同じPICUSHOFに住んでいる子供たちばかり7人が集まり、ケーキを食べたり玩具で遊んだり、外の公園でさらに遊んだりして盛り上がりました。
家の前の公園で遊ぶマウリッツ。農家のおばちゃん風です。






2008年12月5日金曜日

シンタが街にやってきた!





















今日はシンタクラースがオランダの子供たちにプレゼントを配る日です。夜の間に煙突から入ってプレゼントを置いていくので、子供たちは6日の朝を楽しみにしています。



しかし、シンタクラースでなく、両親がプレゼントを買ってくれることをすでに知っているお兄ちゃん、お姉ちゃんになると、今晩のうちにプレゼントをもらうケースが多いようです。うちのマウリッツも、まだシンタクラースのことをよく分かっていないので、寝る前に早々とプレゼントをもらいました。

まだシンタクラースのことをよく分からないものの、プレゼントをもらう楽しみはもう分かっているようで、食事の後、居間の真ん中に大きな赤い包みが置いてあるのを見て、喜んで駆け寄っていました。プレゼントは、木のジープと、シンタクラースの絵本と、蜂蜜を原料としたクレヨン。予想通り、木のジープが一番気に入ったようで、その後真剣に一人で遊んでいました。
今月25日のクリスマスには、また別にプレゼントがもらえます。今度はパパママのほかにおじいちゃんやおばあちゃん、そして親戚のおじさん、おばさんからも!12月はオランダの子供たちにとって、本当に楽しい月なのです。












↑シンタクラースは11月15日(土)にアイントホーフェンにやってきました。写真はそのときの模様です。シンタクラースがお供に連れてくるズワルトピットは、お菓子をくれるいい奴なのに、顔が黒すぎて子供たちに怖がられています。一緒に写真を撮ろうとしたら、マウリッツも大泣き。

2008年11月23日日曜日








こちらオランダではこの3日間、珍しく雪が降りました。降ったりやんだりなので積もらないかなぁと思っていたら、昨日は10cmぐらい積もり、我々の家の前の広場では子供とパパがわらわらと集まってきて、雪だるまがたくさんできました。


我々親子は先週末から風邪にやられてしまったので、週末も外で遊べず……。でも、近所のヨスとピーターが家の前に大きな雪だるまを作ってくれました。今日、少し溶けてしまい、その姿は座禅をしているような格好になっています。

2008年11月9日日曜日

いたずらくん





最近のマウリッツはますますパワーアップ。あんなことも、こんなこともできるようになりました。

2008年10月18日土曜日

ねこちゃん




うちの近所をよく徘徊している大きな灰色のしまネコちゃん。いつも私の足元に寄ってきて、のどをグルグル言わせながら体を摺り寄せてきます。マウリッツやほかの子供たちがたちまちネコを囲みこみ、めちゃくちゃに撫ぜたりしっぽを引っ張ったりするのに黙って耐えており、実に感心なネコちゃんなのです。毛並みもきれいだし、おとなしいし、おそらく野良じゃないと思うのですが、誰もどこのネコなのか知らない。

昨日はうちの前までやってきてニャアニャア鳴くので、お腹がすいているのかと思い、ミルクをあげたらぺろりと平らげました。「1度えさをやってしまうと、毎日来るかなあ…」とちょっと心配していたら、案の定、今朝もドアの前まで来ていました。ネコ好きのマウリッツは大喜び。まあ、いつもマウリッツがお世話になっているし、と思って、またミルクをやりました。これで、うちはネコちゃんの「えさをくれる家リスト」に完全に組み込まれてしまいました。

写真のマウリッツはネコの顔。「ンナー」と言ってネコの鳴きまねをします。

2008年10月11日土曜日

2008年10月8日水曜日

子供農場

オランダにはいたるところに「子供農場」があります。うちの近所でも自転車で30分以内の距離に4つぐらいの子供農場があり、ここでは子供たちが草食動物に触れたり、牛の搾乳風景を見たりすることができます。 ちょっと前までマウリッツは動物には知らんぷりで、ブンブンと機会音がうるさいモーター室やら、大きなトラクターやらの方に興味を示していたのですが、最近は積極的に動物を見にいきます。ニューネンではヤギの小屋に入って大はしゃぎ!

2008年10月7日火曜日

お母さんといっしょ

マウリッツがはまっている日本のテレビ番組『おかあさんといっしょ』。お友達のイリアちゃんと一緒にDVDを見ながらノリノリです。

2008年10月6日月曜日

マウリッツ、1歳半




マウリッツは今月7日で1歳半になりました。


最近の傾向

1)私のことを「ナイナイ」と呼ぶ。最近はほかの子供たちまで私を「ナイナイ」と呼ぶようになってしまった。

2)ムーハーのことは「タタ」と呼ぶ。

3)いくつかの歌が歌えるようになった。歌詞はまだ宇宙語だが、音程はかなりしっかりしている(ハームよりうまい!)

4)手の動きをつけて踊れるようになった。

5)背が伸びて、いろんなものに手が届くようになった。ドアノブも時間の問題……!

6)それでも取れないものがあると、指で指してサルみたいにキャーキャー叫ぶ。

7)「ンナー!」と言ってネコの鳴きまねをする。鳴きまねをするときは、鼻にしわを寄せて、顔までネコっぽくなる。

8)大人と同じものを食べられるようになった。マー坊の好物はお好み焼き、たこ焼き、やきそばと関西系。

9)それに伴い、うんちがむちゃむちゃ臭くなった。


だんだんいろんなことができるようになってきて楽しく面白い反面、意思表示が激しくなってきて大変。諭して聞かせることができるようになるまで、あと1年ぐらいはこんな感じだろうか。体重が12キロ以上ある一方で、抱きかかえなくてはならない場面が多いのが難。一番かわいい時でもあるので、ずっとこんな時期を楽しみたいような、早く大きくなってもらいたいような、複雑な気分だ。


さて、そんなマー坊が最近はまっているのが、NHKの幼児番組『おかあさんといっしょ』。日本人の友人がDVDを何枚か貸してくれたので、毎日繰り返し繰り返し見せている。マー坊はオランダのテレビ番組でも2つぐらいお気に入りがあるのだが、集中して見られるのはせいぜい10分程度。しかし、日本語がオランダ語より分かるからか、日本の幼児番組の作り方がいいのか、この『おかあさんといっしょ』は30分ぐらいの間ものすごい集中力で見続けている。マウリッツがこのDVDを見ていてくれる間は私もいろんなことができるので、たとえ30分でも大助かりだ。おかあさんといっしょ、万歳!

2008年10月3日金曜日

スコットランド






先週末に行ったスコットランドは、素朴な温かさに満ちていて実にいいところでした。

私が泊まったB&Bがあるのはアラントンという実に小さな村で、周りは緩やかな丘を背景に、羊がのんびりと草を食んでいる風景が見られます。宿のオーナーのポールとチャンスはとても親切な人々で、私が着いた夜には美味しい紅茶で迎えてくれました。マウリッツをムーハーに託し、一人不安な気持ちでスコットランドに来た私の心は、この温かい紅茶で随分とほぐされたのでした。部屋も英国調のインテリアがラブリーで心地よく、幽霊が出そうな雰囲気は全くありません(スコットランドの古い建物には幽霊が多いと聞いていたので、私はちょっと金縛りにあうんじゃないか…と恐れていた)。




友人の結婚式は、B&Bからさらに車で20分ほど行ったDunsという所にある古城で開かれました。人前結婚という形で、宗教色はなし。新婦のお母さんが、すばらしいクイーンズイングリッシュで朗読した詩が印象的でした。




ジーンズで出席する人がいるほどラフなオランダの結婚式とは違い、イギリス人は形式を重んじると聞いていたので、私も久々に赤いタイシルクのツーピースを着て出席。「女性は頭に帽子か羽を身につけなければならない」などとも聞いていたのですが、これはパスしました。しかし若い人はともかく、イギリス人のおばちゃま達はさすがに全員お帽子。羽はバカ殿チックになる危険が伴いますが、お帽子はとても素敵です。ここにも英国の様式美を見た気がしました。




結婚式の後はレセプション→ディナー→コーヒータイム→ダンスタイムと、延々と夜中12時半ごろまで続いたのでした。私はAllantonでもう1泊して、エジンバラ経由でオランダへの帰途につきました。エジンバラでは1時間半だけ時間があったので、市内観光バスでぐるっと街を一周。黒く煤けたような建物の中をつるつるの赤いバスが走る様子は、やっぱりとても英国的ラブリーな感じでした。1時間半は短すぎたので、是非とももう一度訪れたいところです。








2008年8月24日日曜日

トスカーナの旅
























イタリア・トスカーナ地方の旅から帰ってきた。今回はフィレンツェとシエナの中間地点、ぶどうとオリーブの畑が広がる山の中にアパートを借りて、そこに1週間滞在した。アパートには3つのベッドルームがあり、共同の台所、シャワー、洗面所、トイレが付いていて、自炊できるように鍋、包丁、皿などのほか、テーブルクロスやエスプレッソメーカーまでイタリア生活に必要なものは基本的に全部備え付けられている。オリーブ畑を見渡せる景色のいい所にプールもついており、観光はそこそこに、プールサイドでゆっくり身体を焼きながら1週間過ごすのがヨーロッパ風の休暇の過ごし方らしい。

が、我々ファミリーはプールにつかることはほとんどなく、毎日車を走らせては近郊の街を観光したり、美味いものを貪欲に求めたり、忙しく過ごした。



まず初めに行ったはピサ。かの有名なピサの斜塔は意外と規模が小さくしょぼいのでびっくりした。この街はこの斜塔だけが見所と言っても過言ではない。ここでは皆、ピサの斜塔を手で支えるというお決まりのポーズ写真を撮ることになっている。




そしてルッカ。ここは旧市街を取り囲む城壁が完璧な形で残っていて、城壁の上を散歩することができる。城壁の上の木陰ではさわやかな風が吹いていた。ここトスカーナ地方はカラッと暑くて、日陰は涼しい。






















フィレンツェ。ここは2回目の訪問となるが、何度行っても金と権力で豪勢に造られた中世の建築物に圧倒される。前回、4時間待ちで入ったウフィッツィ美術館。今回はインターネットでチケットを予約して行ったので、待たずに入れた。この予約チケットの価格は窓口で並んで買うチケットの2倍以上(約20ユーロ)するのだが、4時間の待ち時間がなくなるのは大きい。まさに時は金なり。




サン・ジミニャーノ。たくさんの塔がそびえ立つ中世のマンハッタン。昔、金持ちが競って高い塔を建てたのが残っている。城壁に囲まれた街の中は、かなり観光地化されており、メインの通りにはみやげ物屋が並んでいる。こんなに観光客が毎日訪れたら地元の人はさぞかしうっとうしいだろうなあ…と思ったが、よく考えたらここの地元民の多くが観光客相手の商売をしているのだった。観光客に対する感情は「ラブ&ヘイト」といったところか。



シエナ。ここも中世の面影をそのまま残したオレンジ色の街。毎年、地区対抗の競馬が繰り広げられる「カンポ広場」が有名。すばらしく美しい街なのだが、我々はあまりにも毎日、中世の都市を訪れていたので、だんだん感動が薄くなってくる。いかん。



チェッチーナの海岸。砂浜の近くに松林が広がり、日本とはちょっと違った種類の蝉がギュンギュン鳴いていた。地元の人々はパラソルや椅子を持参して来て、松林の下でゆっくり昼寝をしたり読書したりしている。我々はゴザさえ持っていかなかったので、松の下にビニール袋などを敷いて、近くのスーパーで買ってきたパンにチーズやハムをはさんで食べた。この海岸にはマウリッツへのサービスのつもりで出かけたのだが、当のマウリッツは全く海に関心を示さず、松ぼっくりで地味~に遊んでいた。



ヴォルテッラ。海岸からの帰りに立ち寄った、これまた古い街。ここはローマ時代よりずっと古い2500年前の城壁の一部が残っている。街の古い市庁舎の前で、地元の男性がクラシカルギターを奏でていた。この旅ももう終盤。夕日に響く悲しげなメロディを聞いていると、だんだん寂しい気分になってきた。



とにかく見どころの多いイタリア。あれもこれもと見ているうちに、あっという間に1週間が過ぎてしまった。それにしても、中世の城壁や建物がそのまま残る狭い路地の数々は圧巻だった。街の風情はそのままで、人間だけがまるでヤドカリみたいに何代も何代も入れ替わっている。中世の街をうろうろしているうちに、自分が何人で、何時代の人間なのか、よく分からなくなりそうだった。田舎町のとあるバーで、地元のおやぢたちがエスプレッソを飲みながらテレビで北京オリンピックを観戦しているのを見たときには、ちょっとほっとした。

トスカーナ地方の最大の楽しみは、美味しい食事とワインである。もう、どのレストランに入ってもレベルは一定以上。この安心感はオランダでは決して得られない。トスカーナ地方は肉料理が中心で、「フィオレンティーナ」という地元のステーキ(厚さが4-5cmあり、骨付き)が特に有名。ただ、最低オーダーが1キログラムからというところも少なくなく、我々にはちょっと量が多すぎたし、うちの母に言わせれば、「クイーンズ伊勢丹の牛肉の方が美味しい」。しかし、この地方独特の太麺「Picci(ピッチ)」やら、手作りのラビオリの美味さは、ちょっと今までに味わったことがないぐらい素晴らしかった。酸味の強い地元のキャンティワインも料理に良く合い、毎日トスカーナ料理でも飽きることがなかった。しかし、オランダについたとたん、我々日本人親子はこぞって白いご飯と昆布と味噌汁で夕食を済ませた。やっぱり白い飯もいい。